古山桂治
古山桂治


わづかばかりの風が過ぎ/知らなかった部屋の片隅に/おまへがおまへの椅子を見出すと/背負った海は/ひと握りの/水溜りに変って/てのひらを汚す

古山桂治の詩集「寝しなの歌」の中のどの詩行を数行任意に引用してみてもいい、そこに感じるのは、とうぜん外野に抜けるはずの打球を横滑りに差し出したグローブの先に掬い捕ると、柔らかく踏みとどまってふり向きざま、一直線に一塁に送球する二塁手のしなやかに流れて無駄のない体捌きである。むろん彼がかって日比谷高校の伝説的な名二塁手であったことを聞き知っての連想であるが、言葉というものはこのように柔らかくしなやかにあつかうこが出来るものかと、感じ入るのである。

名優コクランが「俳優は、台詞の意味を、真珠採りが一息に海底の真珠を掴んで浮かび上がってくるように、瞬時に自分のものにする。」と言ったらしいが、そうなのだと思う。言葉にまつわる稽古場と劇場での俳優の作業には、しなやかにナメされた筋肉とあらかじめの運動神経のようなものが、直接に関わっているような気がする。と、古山桂治の紹介をここで終われば、すこし歯が浮く。

その名二塁手は花の盛りに右肩に骨髄炎を患い、僕らは芝居仲間の素人野球チームのクラウンドで、彼が二遊間のゴロをヒラリと補球して走り寄った遊撃手にそっと手渡す姿しか見ていない。絶唱「寝しなの歌」以後、彼は一行の詩も書いていない。と、さらに付け加えれるのは、口惜しい。

しかし口惜しいといえば、もともと僕らは稽古場で、「ヒラリ」とは程遠く、ああでもないこうでもないと喧々がくがくやっとのことで見つけた劇の言葉を握りしめたまま、立ち尽くしているのが現状ではないか。

(和田)

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