空席の目立つ昼間の電車のなか、季節はずれの蚊が1匹、まばらの乗客たちにまとわりついていた。営業マン風の男性の肩にとまったかと思うと頼りなさげに飛びあがり、しばらくふらふらと飛んで、いよいよ力尽きるかという寸前、かろうじて今度は買物帰りとおぼしきご婦人の髪の毛にしがみつく。そんなようすをなんとなく眺めていた。
電車が駅の踏切を通過しようとした瞬間、わたしの意識は踏み切り待ちをしている人の中にまぎれこんでいく。踏み切りの警報がやかましく鳴っている、やがて電車が近づき轟音とともに通り過ぎる。そんな情景を想像しながら、ひとつの疑問が頭に浮かんできた。
「踏み切り待ちしている人から見ると、電車の中にいる人たちも電車と同じスピードで通り過ぎていくんだよな。ってことは、このあたしも時速60キロくらいで空間を移動しているわけかあ。ってことは、よろよろと電車の中を飛んでいるこの蚊も時速60キロか・・・。あれ? ちょっと待て待て。あたしは電車の椅子に座っているからいわば車両と一体となったようなもの。60キロの電車とくっついて移動しているんだよなあ。でもこの蚊は、飛んでいるんだよね? 宙に浮いているんだよね? ってことは、電車と同じスピードで飛んでいるってこと? ええ!!!」
馬鹿なはなしである。そんなわけあるはずがないのに、一度思い始めたらもう止まらない。
「すごい、すごい! よろよろと飛んでいるように見えて実はすごいスピードでブンブン飛んでいるってこと?! ……そんなわけないよ。どこかおかしいいよ?」
と思いながらも、マンガで描かれた顔のある蚊が汗をかきかき、電車に遅れまいと必死な形相で飛んでいる姿を想像してみる。疲れて少しでも遅れようものなら時速60キロのスピードで電車の壁に激突してしまう。うっかり電車に乗りこんでしまった蚊は、何がなんだかわからないまま必死に飛んでいる・・・。
現に目の前の蚊はときどき、疲れたのかふっと動きが止まったかのように車両の後部へ流されていくときがある。
「頑張れ! もうすぐ停車駅だぞ! あきらめちゃ駄目だ!」
思わず応援したくなる。でも、目の前でよろよろと飛んでいる蚊からはそれほどの必死さが感じられない。
「やっぱりおかしいよな、ヘンだな? 一体どういうこと?」
その疑問は拭えぬまま電車を降り目的地に着いたわたしは、さっそく知人に聞いてみた。
「ねぇねぇ、電車の中で蚊が飛んでいたら、時速60キロ?」と聞くわたしに、知人は「は?」と呆れ顔。
真顔で事の発端を話すわたしに、知人はめんどくさそうに答えた。
「あのねー、電車の中の空気も一緒に移動しているんだよ!」
「あ・・・・・・、 (間) そっか……。」
その簡潔明快な答えに、自分のアホさかげんをつくづく思い知った。冷静に考えれば分かるはずなのに、思い込んだら一直線。
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