例えば、友人たちとおしゃべりに興じているとき。女のおしゃべりはなんだかんだ遠回りしても最後にはウワサ話の類いになる。
A子 「あのときの○○さんの態度ったらないよね」
B子 「そうそう、まったくひどいよねぇ」
ワタシ「そう、だったっけ? 覚えてないねぇ〜」
一同 「・・・・・・」
はたまた、
A子 「あのとき○○さんが言ってたじゃない」
B子 「言ってた、笑えたよねー」
ワタシ「そんなこと言ってたっけ? 覚えてないねぇ〜」
一同 「・・・・・・」
そんな会話が幾度となくくりひろげられ呆れられ、ついには、「たまちゃんが何かに取り組んでいるときは、周りで何が起きていても気がつかない」というレッテルを貼られ、なんでもわたしが集中体制に入るときは、「ヒュ〜」と、フェイドアウトの音が聞こえてきそうな勢いでその世界に入り込むのだそうだ。
たしかにわたしは、「居眠り」していて電車を乗り過ごしたことはないが、本を読んでいてハッと気づくと降りるべき駅が過ぎていた、ということは何度もある。図書館で立ち読みをしていたら何時間も経っていた、なんてこともよくある。なにも、図書館で立ち読みしなくてもいいのに…。と自分でも思うが、とにかく活字に向かっていると周りが見えなくなるタイプではあるかも。少なくとも、聖徳太子タイプではなさそうだ。
「たまちゃんはいいよね。だって、周囲でイヤミを言われていようが、これ見よがしに陰口を叩かれていようがまったく気がつかないのは、得な性格だよ」という友人たちの言葉も、イヤミと羨望が半分ずつというところかなぁ〜?
でも、「集中しているときって、誰でもそんなもんでしょ?」と思うし、友人たちが言うようにホントに「たいていの人は気がつく」ものだとしても、「たいていじゃない」少数派だってどこにでもいるものだし。だからたいして気に留めていないし、聞きたくない周囲の雑音(?)が聞こえないというのはなんとも都合がいい。それに、友人たちの言葉も、
「またまた、5割増くらいに言ってるんじゃないの? いくらなんでもそんなにひどくないよ〜」
と、これまた都合のいい解釈をしてやり過ごしていたら、ふと、こどものころのある出来事を思い出した。
あれは、小学2年生のときだったと思う。前にも書いたが、わたしは「いい子」になりたいけれど、「いい子」になる方法を知らなかった。だから(?)その日の授業中も、いつものように教室で静かに「ドラえもん」を読んでいた。ホームルームか何か? 普通の授業だったのかも知れないが、そこまでは覚えていない。
担任の先生はちょっと変わった初老の男先生で、わたしはその先生の「ヘン」ぷりがおもしろくてけっこう好きだった。当時のわたしは、学校の先生というのは、厳しくて、怖くて、常識的で、規則規則ばかりで、ときに横暴と言えるようなことを平気でする独裁者だと思っていたから、今考えてもちょっとズレてるこの先生の存在は、非常におもしろかった。
と、このちょっと変わった担任の先生のおかげで、わたしはなんの気兼ねもなく、こころゆくまで「ドラえもん」を謳歌していた。どのくらい読んでいただろうか? マンガに没頭して縮こまってしまった身体を伸ばそうと、わたしはノビをしようと思った。授業中にノビをしようとすることですら、わたしがいかにノビノビと学校に通っていたかがうかがえるが、とにかく、アタマを持ち上げ、顔を上げたわたしの目に飛び込んできたのは……、
誰もいない教室であった……。
「…あれ、みんなどこに?」
と考え、そう言えばこの日の朝、担任の先生が、今日は体育館で学芸会だか合唱コンクールだか、何かの練習をするというようなことを言っていたことを思い出し、もっとマンガの続きが読みたいのを我慢して体育館へ向かい、学年全員が集合している列の中にコソコソと合流したのであった。当時から身体の小さかったわたしは、いつも背の順が一番前だったことは、この際どうでもいい。
つまりこのときのわたしは、担任の先生が、「はい、これから体育館で、○○の練習があります」、「はい、廊下に並んで!」と言い、こどもたちが「ズーズズズー」と音をたてて椅子を引きずり席を立ち、「ワイワイ」「ガヤガヤ」「ギャーギャー」と騒ぎながら廊下に列を作って教室を去っていくあいだ、何も気づかないでマンガに没頭していた、というわけだ。
つまり、このことで言えるのは、「『ドラえもん』は、すごいおもしろい」ということだ! 藤子不二雄がこの作品を世に送り出してから何十年と経った今もなお、世界中のこどもたちに愛され続けている「ドラえもん」…。やっぱり「ドラえもん」は、すごい作品だ!
って、ちょっと話がずれた気がするがまあいいや。ちなみに、先生をはじめ誰ひとりとして、わたしがいないことに気がつかなかったことは、ここだけの秘密にしておいてください。
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