和田 今日は久々にかたいテーマになっちゃうけど、俺達が「なぜ芝居をするか?」「演じるか?」って事をみんなで話したいと思います。それには理由があって、3年前にちょっと珍しい体験をして、その時、「なぜ演じるのか?」、「なぜ書くのか?」「なぜ夜の樹でみんなで芝居を創ってるのか?」ってことを、俺一人で、けっこう考えた。そういう機会があった。 とりあえず話の枕に、そのことを喋りましょう。
和田 3年前、「やぶにらみのアリス」の公演を終えて、みんなで徹夜の打ち上げをした翌日、新転位21の「齧(かじ)る女」という芝居を観たんですよ。なぜ打ち上げの翌日の睡眠不足に観にいったかというと、俺達が「やぶにらみのアリス」の下敷きにした「東電OL事件」を「齧る女」も下敷きにしていた。東京の小屋で、一日違いの楽日で、同じ「東電OL事件」を下敷きにした芝居を2劇団が創っていたわけだ。で、観て、「あっ負けた!」って思った。「新転位21の方がいい芝居だよ」って思っちゃった。芝居観て、それが良いか悪いかっていうのは、それははもう、否応ナシにその場でわかっちゃうから、その時はつくづく昨日まで俺達が演った「やぶにらみのアリス」よりも「齧る女」の方がいい作品だって、モロ思わざる得ないような芝居を観てしまった。一緒に創った仲間には申しわけないけど、昨日まで演っていた自分達の芝居と比べてそう思っちゃうってことは、けっこう辛い体験だった。
和田 おれ達が「東電OL事件」をどう作品にしたかっていうと、あの非常に今日的なかたちで「性」の介在した殺人事件に決定的に欠落しているのは、エロティシズムである。つまり冷感症の問題である。そう思って、ヒロインを「アリス」に見立てて、徹底的に「イク、イカナイ」、性行為のオルガスムスにこだわって遍歴するアリスのメルヘン劇を創った。
「新転位21」はほとんど逆なんだ。世の中がこうあるべきだとか、「生」や「性」が本来こうあるべきだなんてところからは芝居を創っていない。つまり、「東電OL事件」になにが欠落しているか、なんてところから芝居を創っていない。「東電OL事件」という現代の現実の出来事がもつ衝撃性に真正面からむかって、その前で、「芝居って何だ?」って、自分達の方法そのものに問い掛けている。そのあげく、彼等がどうしたかというと、役者達が徹頭徹尾声を潰して、うめく様に、地団太を踏んでもがきながら、声にならない絶叫で、事件を演じる。登場人物を模倣する。それで舞台の上に何が見えてくるかというと、「現実の方が芝居よりも凄い事になっちゃてるよ!」という、「世界を、現在を写しとってかぶくはずの演劇が、現実の現在の世界においてかれちゃったよ」っていう「東電OL事件」の衝撃性が、予言能力をあらかじめ奪われた預言者の悲鳴のようなかすれ声をとおして、舞台の上で報告される。「東電OL事件」っていうのを、モロ目の前で起こった事件として見つめた末にそういうかたちで劇表現にしようとすると、役者の生身の血の通った声、柔らかい、俺達が普段稽古場で課題にしているような、「生きた台詞」を「生きた関係の中」で創っていこうなんていう演劇の手段そのものが、「あまい表現」になっちゃう。「そんなもんじゃないよ!」というところで芝居が成り立っている。つまり、劇の根本的な「方法の問題」が、劇の中で自己否定されている。それを観せられた時に、「これは負けたなぁ」と思ったわけだ。
和田 で、どうしたって「負けた」じゃつまらないんで、それから一週間位その事を、ズッーと、考えてる中で、「いや、そうじゃねぇぞ」みたいなところになんとなく、たどり着いたというか、見つけることができた。そのきっかけに、最初に言った「なぜそれでもおれは芝居書くんだ?」あるいは「なぜ仲間と一緒に創るんだ?」っていう今日の話し合いのテーマにしたい問いかけがあった。そこから考え直した時に、なんとか救われたというか、「まだまだ負けてなんかいられないぞ」ということになった。
マクラとしては以上です。どう考えをつなげてそう思ったかは、みんなと一緒に話す中で、この話の続きはしたいと思います。ということです。
姫 演劇をこういうつもりでやっているということですか?
和田 そうだよね。「俺はなぜ芝居をしてんだ?」ってとこで。「ただ好きで」じゃなく。好きなのは絶対好きなわけで、理屈抜きに好きだからやってるわけで、その先で、つまり、さっきのおれの体験で、ただ「好き」だけでだと、「負け」たら辛いんだよな。それを「なにくそ、いや負けてないぞ」って食い下がるには、もしそういうことを一人ひとり考えなきゃならない瞬間があると仮定して、そのとき、「自分はどう踏ん張るかな」ってことを話題にしたい。だから、姫はなぜ高校時代から芝居に関わって、なおかつ、「夜の樹」を見つけてくれて、そこで演ることを選んでくれたか? その根拠というか、理由というか。
姫 困りますね〜。
一同 (笑)
姫 困りますね〜、一発目に振られてしまうと・・・。大谷さんは、やっぱりもう20年以上夜の樹で活動しているわけじゃないですか。ということは、始めに入った時と、今とでは芝居に対する考え方が違いますか?
大谷 うん、違うね。・・・。姫ありがとう、そういうふうに優しく振ってくれると、答えやすいけど、なんだか司会が姫に移ったみたい。(笑)
勿論20年前の始めの頃に比べたら、全く、180度ちがう。俺の場合、映画が好きだったので、漠然と「映画に関わることがやりたいなぁ〜」って10代の頃思っていて、それがたまたま和田さんと知り合うきっかけになって、で、初めて見た芝居が「夜の樹」の芝居で・・・。
一同 (笑)
大谷 笑うところじゃないから(笑)。初めてみてびっくりしたっていうのが感想で、さっぱりわからなくって、姫の10代と比べると俺はホント考え方が幼かったんあだなぁ。若い頃は「何かやりたい」、まぁ目だちたいの延長みたいなところで、自分が抱えている「沸々としたモノ」を何か放出したい、みたいなことで、しばらく関わっていて、そうすると悩みなんかも色々でてきて、「俺ホント芝居好きなのかなぁ〜」ってことに悩んだ時期があって、和田さんを見ていると凄い芝居が好きだから「俺、好きの度合いで言ったら凄い低いな」って。
大谷 その中でやっていくうちに俺の中できっかけになった出来事があって、「夜の樹ワークショップ」である芝居をやって、その時に相手役の人と、ん〜上手く言葉にできないんだけど、相手役と「時間」が創れたと感じられる体験・・・、今現実に流れている時間とは別の、「生きた時間」をその時感じてしまって、楽しくて、というか「びっくり!」みたいな、そんな時間があることすら知らなかったので、そこを目指していたわけでもなかったので、その「生きた時間」にスコンと入ってしまった時に、「わぁ! これなんかスゲェことだなぁ」って感じて、それが夜の樹に関わらせてもらってから10年くらいたった頃で、俺にとってはもの凄い事件だった。その時期から、芝居について凄く考える様になって、そこから凄く変わって・・・。皆さんも経験あると思うんだけど、よく友達なんかに「芝居なんていい趣味だね〜」とかよく言われることがあると思うんだけど、どうしても「趣味」って言葉に引っかかって、勿論「趣味」と言われればそうなんだけれども、なんというか、生きていく上での本業みたいな感覚があって、むろん芝居とは別に喰う為の仕事をしているんだけれども、その生きていく上での本業みたいなあたりで芝居とは関わっていると最近思いますね。だから、以前は「いい趣味だね〜」みたいなことを言われるとカチンときて、言われる度に「趣味じゃねぇんだよ!」って心の中でつぶやいていたんだけど、今はもっと芝居が自分に入り混んだのか、全くカチンとこなくなり、言われると「おかげざまで何とか続けていられます、ハハハ」みたいに答えられる様になって・・・。
一番手の語りとしてはこんなところでどうでしょうか? なんだか自分史みたいになってしまったけど。
大谷 前田はどう? ちょうど今話した俺が始めた頃と年齢が一緒だと思うんだけど、前田はいつから芝居に関わってるの?
前田 高校演技で芝居やってて、卒業して東京にでてきて初めの年に専門学校で和田さんに教わっていたんですけれど。まあ、でも、ん・・・、
和田 俺たち(和田、瀬畑、大谷、寺田)が半年ほど関わった俳優学校を卒業して、しばらくそれっきりだったんだよな。
前田 そうですね。
和田 それが、2年か3年してから夜の樹の芝居を観に来てくれて、そのときに「一緒にやってみたい」ってアンケートに書いてくれてからの付き合いだよね。
前田 「夜の樹」を観るまで、他の劇団を観に行く機会も二三回しかなかったし、和田さん達が途中でやめちゃった演劇学校での授業も、その後はあまり楽しくなくなっていたんですよ。そう思っているところへ「夜の樹」からダイレクトメールが来て、観に行って、観たら、なんか独特じゃないですか。
大谷 「夜の樹」がね。
前田 はい。で、どんな風にやっているのかなーと思って、アンケートに「ちょっと舞台をやりたくなりました」って書いたら、二日後くらいに和田さんからバイト中に電話がかかってきて、「やってみないか」って言われて、じゃあ、「お願いします」って、それからやって。はじめの年のときは会話のシーンが、和田さんとのカロリーメイトのくだりだったんですけれど(註:テーブルの上の暗闇)。稽古場で寺田さんに「相手がこうきたからそれを受けて、受けたからこうくるだろう」って、「ちゃんとつながりがある、自分が言って、相手が言って、それに対しての対応でまた言うわけだろう」って言われて。でも、わかるんですけれど、できないんですよ、いくらやってもがんばっても。それが悔しくって次の年もやってみよう、ってなって、どんどんそれがつながって・・・つながって、ここにきているんですけれど。
和田 負けじ魂でやっているのか?(笑)
前田 あのー、その次の年はアリスだったかな。「やろう!」って思ったんですけれど、そしたら会話らしい会話がなくて、その年は(笑)。で、今年は漫才があるじゃないですか。漫才というのも、寺田さんが言った「対話」とは違うじゃないですか。苦労してますけれどいろいろ。(笑)
大谷 それで今やっていて、どう? なんで関わっていると思う?
前田 深くは考えていないんですけれど、芝居をしようと思って熊本から出てきたんですけれど、高校演劇から今日まで常に芝居に関わっているんで、「何で芝居をしているの?」って言われたら、ご飯食べるみたいな、日常的なことの続きに「芝居」があるみたいで。
大谷 だからよく稽古中に寝ているんだ、飯食った後の感じで。
一同 (笑)
和田 古口は?
古口 んー、なんで芝居をやってるかというと・・・、自分は最初は芝居はあまり好きな方じゃなかったのに、まあ覗いてみようかなというつもりで首を突っ込んだのが始まりで、それでも好きじゃなかったときは客席で観てても出ようとは思わなかった。向こう側へ絶対に行きたくないと思ってた。そういうのばっかりたまたま観ていたのかもしれないですけれども。「夜の樹」の公演の客席に座ったときに、「俺、行こう」と思ったんです、向こう側に。で、本(台本)をもらって読んだときも「これをやろう」と最初に思ったわけですよ。さっき大谷さんの話を聞いていてちょっと、「ああそうなんだ」って思ったこともあったんですけれど、自分の場合は一番最初が、一番好きなんですよ。初舞台がピークで・・・。別に今好きじゃないわけじゃないですよ!
一同 (笑)
古口 (笑)下がっているわけじゃないです! でも、一番最初の「夜の樹」に出ると決めて「この芝居をやる」と本を読んで思った瞬間の気持ちっていうのは、言葉で説明するのは難しいんですけれども、もう、とにかくやろうと思ったわけですよね。で、二年目三年目四年目になると「なんでやっているんだろう?」ってのは、毎年毎年自分では考えるんですけれども、でもやっぱり自分で、今年もやるんだったらやる理由を考えたいし当然自分で決めたいなって思って時々考えるんですけれど、ん…、言葉では言えないですけれど、一年目に何でだかわかんないけれどもやろうと思った気持ちを毎年持ち続けたいな、っていうのは自分の常々考えていることで。
ただ、俺も和田さんが観に行った新転位21の芝居は、同期の俳優が一人いるんで、一回観に行ったことがあるんですけれども・・・、
大谷 それは、さっき言ってた芝居?
古口 さっきの芝居じゃないですね。その何本かあとのやつですね。・・・なんか、すごい嫌ですね、やっぱり、俺は好きじゃなくて・・・これまずい? カット?
一同 (笑)
古口 本を読んで、「これ、俺好きだからやりたい」って思ってやるんだったら、ああは絶対にならないだろうって思った。
大谷 どんな感じだったの? その嫌だなって思った芝居は。
古口 なんか、甘い言葉になるかもしれないけれど、好きでやっているわけじゃないような気がしたんですよ、その本をね。
大谷 ああ、出ている人たちがね。
古口 ええ、芝居もね。「俺たちは好きじゃないけどやるんだ」みたいな、なんかちょっと変な・・・。
大谷 なぜやるんだ!?(笑)
姫 やっぱりその公演も声を張る感じ?
古口 張るなんてもんじゃないですよ、叫んでいるというか怒鳴るというか。
大谷 毎回?
古口 俺は一回しか観たことないんで。
和田 俺は、三本くらい観たけれどみんなそうだったね。非常にストイックな創りだよね。だから声を潰してわめいてやるっていうのは、一貫した方法の問題なんだよ、あそこの。ま、いいや、もうちょっと他の人の話しを聞こう。
大谷 じゃあ、今一番どっぷり首まで芝居に浸かっているだろう姫ちゃんに聞こう。
姫 そうですね・・・、私は初めて夜の樹を観たのは17歳とかだったんですけれど、あのー、みなさんのように初めてとか、あまりお芝居を観ないで夜の樹を観たとかではなくて何本か観てて・・・。まあ、あの幼いときだったので、そんなに勉強になっていたのかわからないんですけれど、それなりに嫌いなお芝居とか好きなお芝居とかがあったうえで夜の樹を観に来たんですけれど。あのー、最初に観たときは何度もお話しているかと思うんですけれど、あのー、全然わかんなくって。難しいとかじゃなくてわかんなくて生理的に。(笑)
和田 何を観たの?
姫 初めて観たのはえー、えーっと、「つたえてよフランケンシュタインに」で、なんとなくフランケンシュタインがこの人だ、とかそういうことはわかるんですけれど(笑)、ストーリーとか何を言いたいのかということは言葉として入ってこないんですよ、まったく(笑)。言葉としては入ってこないんですけれど、感覚としてはすっごい落ちてきていたと思うんですけれど。
和田 内側に、姫の中に落ちてきたってこと?
姫 中にです。
和田 テンションが落ちてきたのかと思った。
一同 (笑)
姫 論理とかじゃなくてたぶん感覚的にいろいろなものがすごい吸収されて、それをお家に持って帰って。次の公演が一年後じゃないですか、夜の樹は。で、一年経っても忘れられなかったんですよ、そのお芝居を。その体験が初めてで、今までその場は面白いけれどすぐ忘れるってことばかりだったんですけれど、シーンとか雰囲気とかがずーとアタマの・・・、身体の感覚として忘れられなくて。だから翌年のお芝居も観に行かせていただいて、それがえーと、「テーブルの上の暗闇」ですよね。で、それを観てすごく感動したんですよ。・・・やっぱりわからなかったんですけれど(笑)。でも「フランケン」よりちょっとわかりやすかったのは「テーブルの上の暗闇」って一場一場で区切ってあるじゃないですか。それがその場その場でけっこうわかりやすくて、で、ラストのあの担ぐシーンでワーって大谷さんが椅子の上に登るところですっかりやられてしまって、初めて芝居が終わって椅子から立てないという経験をして、アンケートも手が震えて書けなかったんですよ。
玉井 って(アンケートに)書いてあったよね。
姫 そうそう、・・・って書きました(笑)。っていうくらい印象的だったんですよ。すべて、その(アンケートを)書いたこととかも、そのとき一緒に行った友達の靴とかも全部覚えているくらい。
大谷 それ、芝居と関係ないよ(笑)
姫 いや、劇場が包むんじゃないんですか?
大谷 ビンビンになったってわけね、なんでももう入ってきちゃうっていう。
姫 そうそう。で、今ずっと私が考えていたのは、なんでそうだったのかって思って。なんで夜の樹のお芝居は・・・、他のお芝居ではこんな感覚になったことはなくて、なんで夜の樹のお芝居はそう感じたのかなって思って。そこをみなさんに、こう・・・教えていただきたいと、そういうわけです。
大谷 因みに、椅子に登ったのは俺じゃないんだけれど・・・。
一同 (笑)
姫 あ、寺田さん、寺田さんが登ったんだ!
大谷 俺、棒を持っていただけなんだよね・・・。
一同 (笑)
姫 (笑)すいません、すいません、寺田さんがこう、ワーってね(笑)
大谷 あのー、姫は夜の樹のメンバーと違って、自分で書くというところで和田さんと似ている部分があるじゃない。さっき話にもちょっと出たけれど、例えば、姫はなぜ書くのかという部分も・・・、「こうこうこうだから書きます」ということはないんだろうけれど。なんで書くのかなーというところを・・・。逆にね、俺なんかは書きたいと思っても書けないわけだからさ、「書きたい」だけじゃ書けないわけじゃない。どうなの? どうなの俺?(笑)俺が自問自答してどうするんだ! まあ、そのへんについてちょろっと語ってくれたら。
姫 やっぱりあのー、ぜんぜんまだ、「排泄物のように作品を作り続けなくてはいけない時期だ」という風に大学の演出の先生とか高校時代の詩人の先生とかに言われるので、多分そうなんだろうと思って。実際にたぶん、わたしたちの年代って「なぜ?」とかって思わなくても書けてしまうというか、そいうことがいっぱいあるような気がして。「これ面白い」って思ったら理由もなく書けちゃうような気がして。
でも、その中でちょっとだけ感じているのは、なんで舞台なんだろうっていつも思うわけなんですけれど。書くんだとしたら小説でもいいと思うんですけれど、なんで舞台なんだろうって思ったときに、宇宙というものと一番近いのは舞台なんじゃないかってなんとなく思っていて。人間しかない芸術というか…、舞台だと、人間と人間がその場限りで向き合うわけで、そのことが一瞬の火花のような関係というか、やっと繋がれる関係というか…。小説とかは、何回も読めてその都度新しい発見をできたりすると思うんですけれど、舞台は本当に7回公演だろうが一回一回絶対に違うものだし、お客さんも違うし、生まれるものがまったく違って。それって、人間存在の謎に迫るんじゃないかなと思って。そのカタルシスっていうか、その時に宇宙と繋がれる…、人間を包んでいる宇宙と繋がれるのが唯一舞台なんじゃないかなと、なんとなく本当に言葉にはできないんですけれど、そう思っているところがあって。だから書くし、それに一番直接的に舞台に立てる俳優になりたいのかなと思っているんですけれど。
一同 ・・・。
大谷 えー、当然みなさんにしゃべってもらいますけれど…、えーとじゃあ、玉井さん。そんな俺をにらんでも。(笑)
玉井 えー、芝居? 夜の樹? 芝居について? 芝居は・・・、成り行きでやり始めたんですけれど、・・・今、舞台というものを始めてちょうど・・・、10年くらいですかね。えー、なんで今でもやっているのかっていうのは、楽しいのと悔しいのと、っていうことにつきるかな? て、思ってます。
和田 楽しいのはわかるけど・・・悔しいのってどういうこと?
玉井 もちろん思ったとおりにできないって・・・、
和田 ああ、そういうこと。
玉井 ・・・ことに関して悔しさが残る、毎回公演が終わった後に残った悔しさを、次に年に持ち込むとか別のものに持ち込むとか、自分をコントロールしたりとか・・・
和田 思うように生きられないから悔しくて芝居やるってことじゃないのね。
玉井 いえ、そうじゃないです。それもあるかもしれませんが・・・(笑)。そんな感じですね。
大谷 おそらくみんな悔しいからやるってこともあると思うんだけど・・・。あっ、おればっかりじゃべってる(笑)。なんかここ数年なんですけど終わった後に、まだもっと、まだもっと、っていう気持ちが、例えばあるとするじゃないですか。そうすると、その気持ちを俺は、「なにがまだもっとなんだろう?」って、そこのあたりにも俺がやる、関わる、というのがあるのじゃないかって考えて・・・。以前は「終わったよ〜! おいし〜ビール!」みたいなのが、最近の何年か変に後を引いて、「いや、あそここうだったんじゃないですかね、和田さん」みたいな話をするじゃないですか。それは、もちろん良くしようとかっていうのもあるんですけど、それとは別に、なんか俺、まだ言葉で言えないんですけど、なんかあるんじゃないかなって思ってたりして・・・。そんなことを・・・いま玉井さんの話を聞きながら考えた。谷村さんは、どう? 今どう思う。
谷村 ええとですね、ちょっと話を戻してもいいですか? 最初の方で和田さんのおっしゃってることを聞いてて、私あの芝居でそういう勝ち負けがあるんだって初めて思ったんですね。私はペーペーですから、好きだから楽しいからだけでやってるんですよ。ちょっと考えたんですけど、今は新入りで何もかも物珍しくて、楽しくてやってるんですけど、自分が経験を重ねていった時にいつかは、その和田さんみたいによその芝居観て勝ったとか負けたとか考えるようになるのかなって思ったんですけど、ちょっとピンとこないんですね。なんかいつまでたってもよその観ても勝ち負けなんかまるっきり意識しないで自分の芝居をただ楽しいから好きだからでやり続けるんじゃないかなって気もするんですけど。いやそれじゃいけないのかなって疑問に思いました。(笑)
和田 あの俺が勝った負けたってのは、ちょっとオーバーな言い方かもしれないけど、ただ、作品って・・・いろんな作品があるよな。料理だってどこの店のハンバーグは美味いとか美味くないとか、これも作品だよな。作品である以上、例えば、俺にはわからないけど、茶碗みてさ、「このお茶碗は凄い!、国宝もんだ」っていうのと、「だめだ」っていうのがあるよね。作品である以上、やっぱり感動して、どの程度感動するかってので違いがあるじゃん。特に俺達芝居のことばっかり年がら年中考えてると、人の芝居観終わった瞬間、あるいは観てる最中でも、「そこは違うよ」とか「何だだめじゃん」とか、いくらでも口汚く罵ったり、「ごめん負けました」って、また負け勝ちを言っちゃったけども、とにかく、「結構でした。感動しました。つくづくみせてくれてありがとう」ってのもあるし、その違いははっきりあると思う。でそれは良い悪いってのはある意味で一瞬のうちに勝負がついちゃう。また勝負って言ったね(笑)。そういうものだって気がするんだよね。だからその意味で、俺達も正直本音で言うとただ好きだからやってんだけど、とことん好きだからやってんだけど、どっかで好きだけじゃだめだよ、俺はどっちかっていうと自分にも人に言いたくなっちゃうんだけど、好きだけでやってたら観にきた人が迷惑するかもしれないよ。迷惑覚悟でやるってのもこれも立派な姿勢だけどね、ただ自分たちが創った作品が作品としてどれだけ鑑賞に耐えうるっていうか受取ってもらえるかもらえないかは、大切な問題だと思う。さっきの姫が俺達の芝居観て一年残ってくれたってのも、あれも姫が俺達の作品をそういうかたちで受け取ってくれたんだねって、すごくありがたい。その意味で、そう相手に深く手渡ったか手渡らなかったかということははっきりあると思う。一瞬で決まってしまう差異っていうか、「良い悪い」はあるって気がするけどね。さっきの勝ち負けってのを補って言うとそういうことなんだ。
谷村 最初の話みたいによそとの比較でっていうのを私はあんまり・・。あっそういうの意識するもんなんだっていう疑問があったもんで・・・。
和田 たまたまねテーマが同じだったから、東電事件を扱ってたからね。それで、あっちの方が俺達の扱いより作品として優れてる、鋭いよと、勝ち負けで言ったんです。
谷村 はい。
和田 ただ、いま谷村さんが大事なことを言ってくれたんで、じつは俺も、今日の話のきっかけとして、勝ち負けの話をマクラにもってきたわけで、俺自身、芝居の勝ち負けを半分しか信じていない。というより、勝ち負けの先に俺達の本当の仕事はあるんじゃないかって考えたいと思っている。このことは結構面白い問題なんで、ぜひみんなで話したい。それでこうしてみんなを誘ったわけなんだ。まわりくどいけど、そのためには「なぜ演るか?」のテーマから突っ込んで話し込みたいと思ったんです。
谷村 わかりました。
大谷 寺田さん、眠てないで。(笑)
寺田 眠てないよ(笑)。「なぜ演るか?」いま現在の事だよね、昔のこと言ってもしょうがないんで。
和田さんの作品をどういうふうに広げていくかってことが、まず一番かな。で、当然やるかぎりはその作品をもとに、今日本でやってる芝居の中で一番の芝居をこしらえるしかないわけで、そのために自分が何をしなくちゃいけないかって考えるわけで・・・、つまり、今現在、まだ「夜の樹」で最高の芝居を創れるんじゃないかなと思ってるし、そういう芝居であると毎回本番終わった後思ってますんで、そのために稽古する。それ以外ないです。そのためにみんな集まってきてるんだし、この和田さんの作品は当然(舞台に)のせるかぎりは今の日本の演劇で最高の芝居だよと、誰にも負けないくらい最高の芝居だよ、というモチベーションで芝居創ってる。毎年いつも、まだできる、と。まだいける、と。まだまだ夜の樹はトップでいられるよ、と。もう10年20年、最先端の芝居を夜の樹は創らなきゃいけない。そのために集まってると思います。
一同 ・・・。
和田 寺田に勇気づけられて、というか凄いハッパをかけられたので思わず早漏気味に、さっきの話の続きを言わせてもらいます。自分でネタを振っといて、オチまで勿体つけてトリで言うのもイヤラシイしね。オチは大谷にまかせます。
大谷 いや、断ります。(笑)
和田 俺がさっきの新転位に負けた、と思った後に考えたことは、それじゃ俺、なんのためにみんなと一緒に芝居つくってるのかな? ってことだった。そのとき真っ先に頭に浮かんできたのは、例の、何度も皆の前で引用しているテネシー・ウィリアムズのあの牢屋に幽閉された囚人の話ね。これ注訳つけといてね。
玉井 はい。(註:テネシー・ウィリアムズの「欲望と言う名の電車」の序文に「われわれはひとりのこらず、監禁の宣告をうけて、われわれ自身の皮膚の内側に孤独に幽閉されている。個人の叙情は、生涯を独房に監禁された囚人が他の囚人に向かって呼びかける叫び声である。」という言葉がある。)
和田 やっぱりあれが基本なんだよね、俺の中では。つまり、人間の言葉は、他の人間に関わろうとしてあげる叫び声だよ、ってのが一番大切なことだってあらためて思った。さっき大谷が「芝居始めて10年して好きになった。生きた時間を生きられて、それが転機になった」って言ったけど。姫も「宇宙の中の人間のかたち」という言い方で、それから前田も言ったと思うけど、芝居ってのは人間と人間との関係を、俺達の肉声で、舞台という空間の中で、姫の言葉を借りると、宇宙という空間の中で、生きた人間同士の関わりあいを再現できるんだっていうのが、俺が芝居を好きで、芝居を選んだ理由だと思う。俺がこういう芝居を創りたい、というベースはほぼそのへんにある。
そこで、だから、ワークショップでもやろうとしてる、稽古場や舞台で生きた言葉がしゃべれて、生きた人間同士の関係がどうしたら再現できるか、ということが一番大切だってことになってくると、例の、新転位の芝居ってのは、それの反対側なんだよね。現実はそんなもんじゃねえよってことを表現するために、生きた言葉をしゃべるなんて甘いよ。ぬるいよ、ってことで、ラジカルに、俺達の稽古場や舞台での表現そのものを放棄している、明け渡してる。世界を、時代を、現実を再現するために、表現そのものを生贄に差しだしている。
和田 メイルホリドっていうロシア革命時代を生きて殺された演出家がそうなんだけど、俺メイルホリドってのは、すごい好きで、舞台はもちろん観たことないけど、悲劇的な生涯とか、最後の審問委員会での演説とかがすごくカッコよくってファンだったから少し詳しく調べたら、最高の舞台を創るためには、役者の演技なんて、アクロバティックな操り人形か正確な動きをする機械の成果としてしか評価しない。そうやって機能としての俳優を使って、実に表現豊かな、巧みな、美しい、力のある舞台を創る。同時代のスクワ芸術座とか他の劇場の芝居がぶっ飛んじゃうくらい最高の舞台を創り続けた奴らしいんだ。俺の好みの針が逆に振れて、感情的に思い込みが入りすぎているかもしれないけど、それを知った時に「ウワーイヤだ」って思った。「夜の樹」ってのは、俳優が集まってやっているってのが一番の特徴だと思うけど、俺も俳優で、役者として芝居にこだわりながら、しょうがなしにみんなと遊ぶために脚本書いてるようなもんだけど、あくまで夜の樹ってのは役者の集団だと思うんだよ。そこでは役者の肉声、舞台のうえでどれだけ生き生きと居られるかってことを抜きにしては、手放しにしては、芝居やりたくない。どれだけ現実を鋭く描けようとも、役者の演技を手段に使いたくない。犠牲にしたくない。ギリギリそこは譲れないよってのが俺にはある。でも、それじゃ、思いはそれとして、やっぱり表現として「新転位」の芝居に負けるじゃんてことになる。そこでの答えにはならないよってことになる。
和田 そこで俺が強引に苦し紛れに考えたのは、例えば、プリンターでカラープリントで、白黒の写真を印刷したりデザインをプリントするときに、その白黒のものを「モノトーン」でプリントするのと「カラー」でプリントするのと、結果は同じだとしても、「カラー」で印刷すると「黒」以外の「赤」と「黄」と「青」も使うんだよな。少しだけどインクが減るんだよ。だから、四色を使って黒から白までを表現するのと、ただの黒のインクを使って表現するのとでは、プロセスの問題だけれども、プロセスだけじゃなくて、再現された色そのものに全部の色が混ざった黒か、黒だけの黒かでは、ある意味で違うと思う。
そうすると、あの、例えば、新転位が描いたみたいな、どうしようもない絶望的な時代というのをもしかして俺達がやるとしたら、新転位がモノトーンで表現した舞台を、俺達は四色使って表現したい。俺達の方法、俺達が憧れる舞台上の生きた人間同士の声の関係の中で芝居を創っていく方法は最後まで手放さないで、とことん勝負できるんじゃないかと。それが俺達の舞台を創る根拠だよって。これなら「勝ち負け」の先まで行けるよって気がしたんだよね。
もちろん、「アリス」をもっともっと戯曲も表現方法も詰めて、最終的には限りなく「新転位」と同じくらい厳しく現実をもう一度再現できるように詰めていくとこができるかもしれない。そうしたくなるかもしれない。しかしその時でも、「新転位」の方法は優れてるからあっちの方法でいきましょう、とはならないで、今言ったみたいに「役者の肉声にこだわりながら生きた演技ってものを最後まで手放さなでやってく」ってのが俺の、俺達が芝居を創る一番の根拠かな、って気がしたってことなんですよ。長くなっちゃった!
一同 ・・・。
和田 (大谷に)つないでください。
大谷 ああ、はいわかりました。まだ、話を聞いていない人もいるので・・・。
塩出さんは、どう?
塩出 ええと・・・。和田さんのあとは喋りにくい!
大谷 まあね。
塩出 ええと、そうですね。もともと私は、俳優を、というよりも裏で支える作り手の方になりたかったクチなので。で、その作り手になるには、さっきの和田さんのプリンターの話じゃないんですけれど、カラーのものが結果的にグレーになったとしても、その元のカラーのところがあったっていう人間でありたい、みたいなところがあって、じゃあ、いろいろやらなくちゃいけないなってところがあって。でまあ、そもそも映画が好きだったんで、映画と言えば映画の都ハリウッドだろうってことでアメリカに行き、アメリカに行ったら、人種差別の問題やら言葉の問題やらいろいろあって、映画ばっかりどっぷりってわけにもいかず。それじゃ美術のほうから攻めていくかってなって、で、そこからまたいろいろあって特殊造形を手がけ。で、もの造りにあたっては、役者から見る視線でものを造っていくってものがなくっちゃなってのがあって、ちょこっと始めてみてもいいかなってのがあって、始めたのが芝居でした。
で、それまでどんな芝居を観てても、「まあこんなもんだよな芝居」って感じで、結構「けっ」って思ってるところがあったクチだったんですけど。あるとき某養成所に和田さんがいらして、その最初の題材が別役(実)だったんですよ。別役の芝居をこんこんと語る和田さんを見ていておもしろい人だなぁって思って。それまでそうゆう芝居に触れたこともなかったし、あ、こうゆうものを創ってもいいんだって。なんか、今まで観てきたものや感じてきたものって、大体起承転結があって、ハッピーエンドで大団円みたいなものが多かったので。なんか、なんと言うか、日常だけど異空間というか、そういうものがいいなって惹かれだして、で、その頃からちょうど和田さんから、和田さんの作品の「蠅とり紙」を貸していただいて、それを読んだ時に、すごい衝撃で、「おもしろい!」って思って、特に「桜餅」って作品が私は好きで、これをやってみたいなって。その時初めて、役者として初めて、これやってみたいなって思うものに出会ったなぁ、と思ったんですよね。でも、「けっ」て思ってたわりには、自分でやるのはものすごく大変で、役者としての自分でやっていかなくちゃいけないっていうものが、難しいなぁって思ったりで、私は大体が、悩んで悩んで創っていくほうなんで、でもなんかそのプロセスも結果的には楽しいものであって・・・うーん・・・まとまらない・・・。
大谷 まあ、このことについてはね、みんなもそうだと思うんだけど、言葉にするのは難しいよね。
塩出 そうですねぇ。また、亜子ちゃんが言ってた、「悔しいな」って気持ちも、やっぱりしょっちゅうですし、「楽しいな」もしょっちゅうですし、けっこう前田君が言ってたみたいに、毎日が芝居の中っていうか、昼寝みたいな感覚だっていうのもなんとなく・・・。
前田 そんなにしょっちゅう寝てるかなぁ〜。
塩出 だから、私は、「夜の樹」の役者としてじゃなくて、夜の樹にはちょろちょろ顔は出しているような気がしてるんですけれども、役者としては、今回が初めてなので、だから今はわくわくしながらやってます。はい。
(10秒テープ中断)
田部 で? 何だ、今日は何を話すんだ?
一同 (笑)
田部 って言ったら、周が何で芝居を、何のためにこの芝居をやるのか、芝居とは何か、それで何のためにやるのかって聞いたもんで、すぐ逃げようかなーって思っちゃったんだけどね。
一同 (笑)
田部 これ・・・芝居が、何のためって、ま、極端にいうと、あんまり考えたこともないんだよねえ。ただ、全くのこの、生(なま)、生身、ということが、それがまあ得難いことじゃないかと。思想性云々というのも嫌いだし、まあとにかくどういう人間でもその、全くのこの生身で、マイクも何にも使わないで、舞台で、その日その日、何日かやってもいろんな変化もあるだろうしね。とちったりすることもある。それがもう万々歳だと思ってますよ。
で、さっき周が、「負けた」とか何とか言ってたけど、いやいや、勝負云々じゃなくて、そんなのかまうことはないと、まあ俺はそう思うね。どういうジャンルであれ、どんなことやったっていいと思うんだよ。ただ周の場合、ちょっとわかりにくい部分が・・・
俺、42、3年か? 一緒にやってるけど・・・、それはあります。ただ、すごくいい、逆にね、すーっごくいい、ほんのちょっとした場面でも、いいところがあって、お前よく書きやがったなって、思ったりもする・・・。そうだね、まあだから和田との付き合いは、しばらく続くんじゃないかと。くたばらないかぎりね。
和田 弔辞は俺が読むから。
一同 (笑)
大谷 田部さん、言い返した方がいいですよ、「いやいや俺が」って。
田部 俺の背広で・・・。(註:40年前、和田の父親の葬儀の時、喪主の和田の着る背広が無く、稽古場で田部に借り、田部は稽古場で取り替えた和田の普段着を着て焼香に現れたことを言っている。和田)
和田 (笑)
大谷 長くやってきて、やめようかな、なんて思ったことありました?
田部 うーん・・・、なかったみたいだな。ただ、周からまた声がかかるかなーみたいには思ったこともあったけどね。お、いいの? みたいなもんで。
大谷 和田さんと田部さんは「夜の樹」の前から芝居をやってるわけじゃないですか。その前とかはやめようとかって思ったこととかは?
和田 いや、やめたよな、二人とも。
田部 俺ね、30歳から50歳まで全く芝居やめてたの。
大谷 それ、30歳の時になんでやめたんですか?
和田 いや田部はね、もともと早稲田で劇団に入って、大学生の時からやってたの。それから、新人会で俺と一緒になって、10年間くらいやってるんだよ。で、中断して。二人とも塵トラックの運転手になった。
田部 そうそう。単なる生活。で、もういいやって思って。そしたら周からねえ、ある日「お前、やってみないか」っていうんで、最初のあれ、何だっけ?
和田・大谷・瀬畑 (口々に)「赤いツエッペリン号」
田部 そうそうそう! わからない芝居だった。
和田 わかんなかったの?
田部 ああ? わかんなかった。
一同 (笑)
田部 それでその時にね、「男1」って役がちょっとしか出てこないから「男1だったら、俺、じゃあ、やる」と言ったんだ。で、維田修二と周と私と瀬畑とやったんだけど、稽古の段階で全部の役をみんなでくるくる替わってやることになって、ひどい目にあった。
一同 (笑)
田部 大した話でもないけど、こんなところで。
大谷 じゃあもう時間がせまってきてしまったんですけど、瀬畑さん、一言くらい・・・。
瀬畑 私は、18から芝居始めて、33で和田とある芝居で知り合って、で、芝居に対する考え方がすごく似ている人だって、そういうことがきっかけで二人で「夜の樹」を作って、始めて、まあ大変だったけども楽しく、ずっとやってきたんですけど。みなさんとも巡り会えたし、楽しく本当にいい時間を過ごせたと思ってるんですけど、ちょっとここんところ、セリフが覚えられないとか、これまでだったら、考えらないくらい、台本をもう読んでるうちに、覚えようなんてしなくても入ってきたものが、今、覚えようと努力しても入らないという、つらいところにいて、まあ「夜の樹」でみんなとずっとやっていけるなら、私は役者でなくても関わってやれたらいいかなってぐらいの感じではいるんですけど。うん・・・ただやっぱりね、やると楽しいから、それから必ず発見が、その年その年の発見があるから、もう少しやるのかなって気もするし、そう思いながら毎年やってるつもりです。
大谷 まあそれぞれの思いを持ちながら、まあみなさん、芝居に、「夜の樹」に関わって・・・今ここで芝居に関わるっていることになってると思うんですけど、ちょっともう時間がないので、あとは・・・ゲラ校正で締めたいと思います。
一同 (笑)
大谷 いや、ほら、ここで締めろって言われても締まらないし、なんかちょっと和田さんと相談しながら・・・。
和田 いや、このまんまでいいよ。
大谷 あ、いいですか?
和田 おもしろかったじゃん。
大谷 こういう機会はなかなかその、飲んでも話することはないのかなっていうことなので、これを機にエロスからずいぶんちょっと時間がたってしまったんですけれども、またなんかちょっとテーマを決めて、芝居が終わってからでも・・・。
和田 もっと軽いテーマでね。
大谷 今日は本当にどうもありがとうございましたみなさん、お疲れさまでした。
一同 お疲れさまでした!