別役 実氏

ジョイス・ベケット・ピンターの系譜と、別役実氏から学んで、僕は芝居を書いているつもりでいる。「学んで」ったって、寒寒とした独学、というか、無頼な勝手読みのあげくだが・・・。で、「ぼくは別役氏の弟子だ」と自称しているのだが、むろん本人からお墨付きを貰っていない。詐称である。
キャベツ畑」と「赤いツェッペリン号」は懇切な指導を受けた。作った芝居はまだ一本も見てもらっていない。(和田)

新しい出発のために (1981年6月)「キャベツ畑の中の遠い私の声」パンフより

 60年代以後、「新劇」におけるそれぞれの集団は、それぞれに細分化されていった。60年代から今日に至る「新劇」の歴史は、細分化の歴史だと言ってもいい。しかもそれは、組織論の面においても、創造方法論の面においても、興業システムの面においても行われたのであり、更に言えぱそれらは、一度細分化されたものがそのままひとつの分流として今日に至っているのではなく.そのそれぞれの分流が、更に幾重にも重層的な細分化をくり返しつつ、今日に至っているのである。
 現在、それぞれの集団の組織論や創造方法論の全体の見取図における位置づけが困難なのは、そのためであるが、しかしその代りに「新劇」は、数多くの独立した創造主体を生み出すことになった。和田周もそのひとりである。彼がどのような演劇的経路を経て今日に至っているのか、私はその詳細は知らないが、少くとも彼が今、その過程を通じて確かめてきた独自の演劇性に身を委ねようとしていることは事実である。
 彼は演技者である。そして今回の作品は、演技者としての彼が、彼の内側よりつむぎ出したものであり、このモノローグ文体の強さは、すべてここに起因する。恐らくこれは彼の処女作であろうと思われるが、処女作というものが往々にしてそうであるように、自己開示への苛立たしい衝動が、ここにも激しく波打っているのであり、それが強力な説得力となっているのである。
 この作品が、舞台でどのような空間を形造るか、まだ私にはわからない。そしてそれは恐らく、彼自身も同様であろうと思われる。しかし、それが必ずや独自のものであろうことは、ほぼ推察出来る。このモノローグ文体の内に秘められた多様な感受性が、その可能性を予感させてくれるからである。
 彼のこの試みが、冒険に充ちたものであり、ナイーブな感受性を通じて、独自の衝激的な空間を切り開かれんことを、期待する。

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