氏の処女作の戯曲「夢現玄武門先駆(ゆめかうつつかげんぶもんのさきがけ)」が、僕の事実上の初舞台である。自分の体験した夢か現の「玄武門先駆け」という武勇を、芝居という虚構に仕立ててドサ廻りをする、世間にとっては少々迷惑で滑稽な、思い込みの強い小男、荒田隆吉という役だった。こういうのをいま流行りのトラウマと呼んでいいのか、それともただの因果なのか。気がついてみたら、個人的な夢と記憶ばかりにこだわって、思い込みの強いはた迷惑な芝居ばかり作っている。ズバリ、岩淵先生のお陰だ!(和田)
期待する (2002年)「つたえてよフランケンシュタインに」パンフより
周ちゃんこと「夜の樹」の主宰者である和田周ちゃんは、「夜の樹」の上演をずっと支えているポンこと古山桂治氏、タベちゃんこと田部誠二氏とともに、私の昔の仲間、というより同志である。同じ釜の飯を食い、その飯場から石もて追わるるごとく追われた仲間なのだ。もう四十年も前の話だ。
「夜の樹」がスタートしてから何回目かの公演に、周ちゃんがセバ(瀬畑さん)同行で出演依頼に来てくれたことがある。私を役者と見込んでくれたのは大変感激したが、台本をもらったらパニックになり、とても覚えられそうもないと辞退した。一時期、周ちゃんの台本には、チャブ台と裸電球がある種の役割を果たしたことがあるが、その電球だか笠だかをめぐるセリフが全然覚えられない。つまり和田戯曲の正書法という厚い壁が、常識的ドラマのセリフしか覚えられない私には乗り越えられなかったのだ。あれにチャレンジしていれば私の演劇の地平ももっとひらけたかもしれないが、いかにせんその時点で私はもう年をとりすぎていた。
「夜の樹」の芝居は、「ラネフスカヤ隠し」あたりで一時注目を集めたこともあったが、これだけの積み重ねの仕事はもっと注目されて然るべきだと思う。
今度の芝居は、和田作品のなかでは全く様変わりで、ゾンビ風古典妖怪の百鬼夜行という趣向だが、経済的にスペクタクルにするのは不可能だと思うから、どのような簡素な美術でこの世界を現出させるのか、お手並を拝見するのが今から楽しみだ。