和田周の世界 (2007年11月)「吸血鬼祭」パンフより
それは、透徹された闇と真実(まこと)の光にある。
闇とは人の心である。光も人の心である。
「まがうことなく心は言葉か!」、その虚妄の闇に演劇人は苦悩する。
迷宮に疲弊し、〔生かされる〕をままで、舞台の闇に立つ。
あまりに無防備に丸裸で虚構にたたずむ姿は、かの殉教者のよう・・・
嗚呼、皆、息をのむ。
技も捨て寸鉄の外連(けれん)もなく真実(まこと)がある。イデアに隷属しない生命(いのち)の光がある。
「我ここに在りや。真実(まこと)を育む虚妄たる言語と虚構の闇にこそかく在らむ」
それが和田周の世界である。
和田周氏の演劇観は、誤解釈され上演される危険の高い『わが町』の作家ソートン・ワイルダーの真意に近いだろう。ワイルダーは言う、「世の中には二つの真実がある。ささやかな個人の日常とその存在に関わるであろう広大な宇宙、それらが歴然とある真実、それらが淡々と繰り返される真実。演劇はこの二つの真実を唯一表現できる芸実である。」(1957劇作集の序文より抜粋要約)
演劇に関わる誰しもが、真実(まこと)を望みながら、果たせない。ささやかな〔生きる〕に迎合し、現世(うつしよ)の仮衣(かりぎぬ)でお茶を濁しつつ、日々に追われる。そのうちに、「真実はない」ゆえに「真実探しも愚かなる人間の本性」と自得して、「演劇は虚構(うそ)である」の深長さに身も心も鎮めてしまう。
だが、和田周氏は決然と断ち、見つめ続けている。
第22回公演『螺旋袋とじ』、第23『蓮の花』を拝見して。